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「シンバ/ナシンバ」の活動レポート

愈々EMぼかしづくり

荒畑起こし始まる

カンパラ日帰り

虹の謹賀新年

愈々EMぼかしづくり EM普及作業開始 EM作物 このアルバムは CANON image GATEWAY にて作成しました

2003年12月24日(水)
 早朝汚れた作業服の男と会った。左手の人指し指の付根をパンバーで打ち切ってしまったという、骨が見えていた。その彼が村のチェアーマンである事を純子から聞いた。昨日青いシャツを着ていた人、何と汚いシャツ姿であったので気がつかずにいた。
 彼がセンターに挨拶に来た。
 EMのパンフレットを読んでもらった。目が輝き始めた。ムソケがチェアーマンの畑を調査畑(実験農場)にしようと提案すると心から賛成してくれた。EM開発はさい先よし!

 午後はナブトングァの事務所裏(上の方)を散歩がてら歩いた。丘の上に向って歩くのだが息がきれる。休み休みゆっくりと30分程行くと子供たちに会う。その家を訪問。帰りはその子供に案内してもらって戻った。
 一休みして町(下の方)の方を散歩、明日のクリスマスのために町は活気づいていた。特に牛や山羊、豚が屠殺され切り売りされている所は人だかりがしていた。次から次へと鉈のような包丁で斬られて、売れて行く。
 町の突き当りの揚げ物やのおばちゃんに手招きして呼ばれた。この店の処から道が分かれている右へ行けばチャトー方面、左へ行けばカルング方面。チャトーへ行こうと歩き始めたが、結構遠いので止そうと帰ることにした。初夏の軽井沢のような気候ではあるがさすがに赤道直下陽射しは厳しい、汗をたっぷり滲ませて帰る。
 更に一休憩したところで、純子さんの勢いにのって再び丘を上がる。
 AAAメンバー岩切美子さんのお働きで拓大生がホームステイしたと言う家の日本語がちょっと分かるプリンスが遊びに来ていたのが切っ掛け、朝行った丘の峠を越えてもまだつかない。丘の全く反対側の家だった。眼下に広がるバナナ畑向こうの丘もミドリのおっぱいを被せたように二つ三つと広がる。心が休まる、母なる大地に抱かれている実感である。
 そんな丘の中腹にプリンスの家が在った。母親にホームステイの挨拶を言った。すぐにおいとまする事を告げたが、二分待てと言う事で待った。母親の声に従ってプリンスが産みたての卵を持って帰って来た。御礼のご挨拶に行っていただきものをしてしまった。
 西の空は下弦の月と金星、あれっ?中国の国旗だ。周りが黒いのと赤いのの違いであった。

25日(木) 
 5時30分純子さんに起こされトイレに、戸を開けると空一面は輝く星、草むらでは螢がぴか!ぴか!っと。この時間は、久々の赤道直下南半球の星空。北にセブンスター南にサザンクロスが鮮やかに輝いている。サザンクロスのすぐ右は銀河か天の川のようにも見える。雲がかかったように星屑が寄っている。トイレを忘れて見とれてしまう。老夫婦のロマンチックな一時。これが毎日の楽しみになった。
 これは毎日のお役目「トイレ付き添い係」トイレに行く時は必ずEM希釈液を持参し、トイレ内等に振り掛ける。又自分自身にも振り掛ける。これがお風呂代わりである。
 今日がクリスマス、それぞれの家から一丁来に着飾った人々が教会へ教会へと歩く。特に女性は着飾っている。聞いてみると11時から始まるとのこと。村の中で何処にも行かずにいるのは私達とモスリムの子供たち。のんびりとした1日であった。
 教会の行事が済んだ頃、こちらでは2時〜4時位が昼食。子供たちが写真を撮ってくれとやって来た。いつも汚れたぼろシャツを着ている子供たちが今日は違う。新しいシャツを着てひときわ良い子になりきってやって来た。特に女の子は可愛い洋服で着飾っていた。次々と写真を撮る。仲間と、一人で、兄弟でと注文はうるさい。が喜ぶ子供たちの姿に私も嬉しくなって撮りまくった。
 夕方からバナナのボカシづくり実験のために近所でもらって来たバナナの皮を細かく切る作業を行なう。これを乾燥させてボカシづくりをする。たらい一杯になるまで切って残りはそのまま乾燥させる事にする。
 シャワー室を予定していたコンクリートの処にゴザを敷いて切ったバナナと切らないバナナを乾燥しやすいように敷いた。

26日(金)
 AAAーU敷地内の芝刈り、留守が多かったために庭は草ぼうぼう、ウガンダ式草刈りを実施結構きれいになる。いつもの子供たちも見物していたが最後には手伝い始めた。
 今日はお風呂の日ジョリ缶半分づつを使って交替で身体洗濯。私はまだ23日にしっかりシャワーを浴びたばかりなので辞退した。                            ページトップへ戻る

荒畑起こし始まる

27日(土)
 午前中敷地上の方に在る空き地を畑にしようと、畑起こし、これが又老人には重労働である。とにかくEMでたわわに実る農作物を頭に描きながら鍬を突っ込んだ!15分でダウン、自分では1時間もやったつもりだが、どうしてどうして中々体力が持たない。汗が目に入って痛いし充分に働いた気分である。若者の姿をうらやましげに見ながら美味しい水をがぶ飲みした。見に来ていた子供たちも手伝い始めた。
 午後からは、水汲み、マサカの町にてニュースレターのコピーA4一枚50シル(日本円で3円)しかし停電のためゼネレーター使用代があるから100シルと言う。又くると言うのも大変なので倍のお金を払う事にした。108枚の処で電気が来た。109枚目からは50シルである。後から来た客がA3をコピーすると言う。A3があるならその方が良いと交渉したら、A3は一枚400シル両面で800シルになると言う。ならばA4で両面にしょうと言う事になった。カンパラでもA3は無いかも知れないと行っていたので、有って喜んだが高くて驚いた。停電にならない内に200部を作成する事が出来た。今日は土曜日で郵便局はお休み。先ずは帰って封筒詰めをしよう!

28日(日)
 朝食後、AAAニュースレターの封筒詰め作業。
 午後はゼネレーターを入れてくれる。パソコン作業がはかどる。連日の作業で身体は筋肉痛ぎみムソケの心使いが嬉しい。                                ページトップへ戻る

カンパラ日帰り

29日(月)
 カンパラへAAAーウガンダ更新登録全書類を提出受理された。3月に確認に来るようにとのこと。継続活動だから問題は無さそうだ。ムソケのビザもスペシャルで1月6日におりる。美江さんの応援(英語力)が功績。二人共々に嬉しそうで足取りが軽そうである。
 インターネットカフェに行くと繋がった。感動!今日は何から何まで上手く行く。
 シンバのメールは200を越える数が溜まっている。これを全部受けて削除し、関係ないものはイナターネットをつないでメール否定の処理を行なった。日本でしてこなければならない作業であったが、なんとも時間がとれなかった。時間にして4時間つなげた費用は600円。
 この間に暇を持て余した純子さんが日本人と会話。その方が海外青年協力隊の方でODAでマサカ地区の井戸掘りが始まる情報を手に入れた。来年早々にジャイカを訪問する事にしよう!
 カンパラ宿泊のつもりで出たが出発間際に建設のムゼーから電話が入り、今日中に戻る事にした。フジさんも時間的に会えそうも無かったが、たまたまガーデンシテイで帰ろうとしたらフジさンのワゴン車があった、で、会う事が出来た。ヨバニホテルで仕事に勤しむ鈴木敏央先生と津久井徹さんにもご挨拶する事が出来た。 この日マサカに着くのは真っ暗闇、危険を感じてニエンドに新しく出来たホテル
(DENBE LYO INTERNATIONAL HOTEL)に泊まる。
 部屋に机も無いので申し出るとちょっとした台とプラスチックの椅子を持って来てくれた。今工事中で湯が出ないと言う5リットルのジョリ缶に湯を入れて部屋の前に置いてくれた。ロビーにて4人でNGOボード提出を喜びあった。                               ページトップへ戻る

虹の謹賀新年

2004年1月1日
 午前2時頃純子さんに起こされトイレのお伴、戻って床に入ったがうつらうつらであった。3時頃だろうか大きな雷の音と共に雨の音が、強くなったり弱かったり聞こえなくなったり、4人で早起きしてセンターのある丘の頂上で新年のご来光を拝みに行く事になっていたが、その頃までに雨はやむのだろうかウトウトとして考えていた。
 突然目覚まし時計の越天楽が鳴る5時29分、外の雨音が大きかった。トイレに行った軒下は雨には全く関係なかった。トタン板の屋根だから大袈裟な音がするのだ。
「シンバさん虹です」
 ムソケと美江さんは並んで上の方へ駈け登る、私達夫婦も追った。
 西の空を見上げたら鮮やかな虹が左右の丘の掛け橋になって半円を描いている!しばらくしたら虹が二重になった!
 ムソケの村にムソケが出た。村人たちは二重のムソケを見て「ムソケ! ナムソケ!」と輝く目で叫んでいた。
 敬充は村の人々から「ムソケ」と呼ばれている。この国の言葉で「虹」を意味する。そして、「ムソケ」の奥さんは「ナムソケ」というのだ。
 出発前に敬充と美江さんとが婚約し、ウガンダに生涯をかける心を定めてやって来て、初めて迎える元旦。二人の喜び輝く瞳を見た親としての喜び、赤道直下の熱いお正月と思っていたこの日は、誠に雨上がりの涼しい爽やかな元旦だった。

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