| 視察調査派遣はAAA事業部長山崎毅史、山崎正美(女性の立場から)、毅太朗(1才)を派遣
現地視察調査報告
7月3日
6:40 渕和分教会出発
11:25 JL725便にて成田空港よりジャカルタに向け出発
16:35 インドネシア・ジャカルタ・スカルノ国際空港到着
インドネシア出張所留学生播磨氏・バンドン留学生白井氏に迎えられる
19:15 インドネシア出張所到着 お礼参拝
田中所長はじめご家族に迎えられ、その後夕食。
夕食後ジャワ島中部地震被災状況などの情報を聞かして頂く。
7月4日
6:30 朝勤め 朝食後
8:00 通訳に現地留学生の播磨氏に同行頂き、空港へ出発
9:30 ジョグジャカルタへ出発
10:30 ジョグジャカルタ到着、兵神大教会系信者のジャロット氏に出迎えられる。
11:30 ホテル到着 チェックイン
12:15 近所のマクドナルドで昼食を調達して被災現場視察に向かう
視察1、視察2、視察3(参照)
18:30頃 ホテルに戻る
19:00 街に夕食を食べに出かけた。夕食中、ジャロット氏の携帯に連絡が入り
身寄りのない一人暮らしのおばあさんがいて支援を受けていないのでで
きたら支援してほしいという用件だった。
確認してみないとわからないので明日視察にいくことにした。
21:00 就寝
7月5日
9:00 ホテル出発 ジョグジャカルタ市街にある建築機材や工具の店で値段などを調べる
10:30 ジャロット氏と合流し昨日連絡の入った村に出発。視察4(参照)
17:30 視察終了しホテルに戻る
18:00 夕食
7月6日
6:30 国内線空港に向けホテル出発
7:40 ジャカルタ向け空路にて移動
8:40 ジャカルタ到着 日本大使館向け
9:20 在ジャカルタ日本大使館表敬訪問
10:20 国際移住機構(IOM)表敬訪問
12:00 昼食
15:00 インドネシア出張所到着 お礼参拝、出張所にて休憩・夕勤め・夕食
19:50 国際空港向け出発
22:35 田中所長・播磨氏に見送られ日本へ出発
7月7日 7:50 成田空港到着 無事帰国
視察1、バントゥール県バーウーラン村付近の視察
この村は最も被害の大きかった地域の一つ。広場にテントを張り夜は付近住民が寝泊まりに使っている。日中は医療行為を受けることができるという。
今晩、地震で亡くなった人々の40日追悼祭をするという、あるテントでその追悼祭用に持ち寄ったお供え物を準備していた。この付近では3日祭、7日祭、40日祭と追悼祭をする風習がある。
被災後、国から一人当たり米10kgと9万ルピア(1200円相当)の生活費が支給された。国から全壊した家には復旧のため、3000万ルピア(42万円相当)の補助金が支給されるという告知があったというが、いつから支給されるのか未定。新しい家を建てるには最低5000万ルピア以上かかるという。
住民の職業は農業が多い。この村にはオーストラリアから食料支援・フランスから住宅機材(テントやビニールシートなど)、その他ユニセフや赤十字などからも支援を受けている。
MAKというインドネシアの医療機材の会社によりリハビリセンターを建設中、ほぼ完成している。
視察2、バントゥール県カンパン・ケルテン村視察
200人60世帯の集落 90%以上が全壊.。この村にはアメリカのUSAIDという団体のみ援助に入っている。国からの米と9万ルピアの援助はまだ支給されていない。
家の建設費簡単なものでも3000万〜5000万ルピアかかる。瓦礫をかたすのにハンマーや一輪車などの機材援助を望む。瓦礫の始末方法は材木やレンガなど再利用できるものはなるべく使って後のものはその辺に捨ててしまう。
災害発生時に必要だったものは、建物が倒壊して雨を凌ぐ場所がなかったので防寒のため毛布が欲しかった。そして食料・衣類も不足していた。防寒のほかに雨を防ぐためにシートやテントが必要だった。
視察3、レンタカーのドライバーさんの親戚の村
カンパン・ケルテン村南西方向 150世帯 400人 90%の倒壊率。死者3名、重傷者10名、軽傷者20名 赤十字・スペイン・アラブ系の国から支援を受けた。PKSというインドネシアの政党から医薬品の支援と医療巡回で研修医さんが来ていた。
この村では、レンガ作りの家はほとんど倒壊していたがしっかり建ててある家は残っていた。しかし壁にひび割れなどが入っていて、家の前にテントを張り、夜はテントで寝るようにしている。地震発生時、津波がくるという噂が流れバイクの窃盗が頻発したという。
この村で要望された中に、地震が起きても倒れない日本のような家をモデルハウスとして一軒建ててほしいというのがあった。その一軒を建てるときに是非建て方の技術を教えてほしいということだった。
視察4、バントゥール県西部
パンダックという町の近くのカウマン ウィジレジョ集落(Kawman Wijirejo Pandak Bantul)。隣組2組で68世帯500人の集落、80〜90%の倒壊率。モスクの庭に場所を借りて対策本部テントを自分たちで作り地域の世帯数・年齢別人数などの情報を集めているが支援は受けていない。月に米10kg・食費9万ルピアの国からの援助を先延ばしにされていたのが、ついには被災地リストから外されてしまったといっている。夜は冷え込むので子供やお年寄りはこのままでいくと体を壊してしまうので仮設住宅でいいから援助してほしい。
各国の援助は震源地に近い方に集中し、西の外れにあるこの辺りはまだ援助を受けていない。医療の援助もしてほしい。インドネシア事態病院や医者が全然足りていない状況だそうで一般的に治療などは街へ行かないと受けることができないという。51歳のジャムジュリさんは子供4人いるが左足かかとを骨折し働くことができず困っている。また、スミラさんという中年女性は半身不随だが治療を受けることができないままテントの生活をしている。
食料援助を受けていないということでお米200kgと松屋フーズの赤ちゃん用お粥・玄米スープを数十袋寄付させてもらった。
ちなみにお米は1kg=4000ルピアぐらい日本円で約50円ぐらい。100kgで40万ルピアだから5000円位
山崎毅史の提案
発生から一ヶ月経った今、今のテント生活では、子供やお年寄りの健康面の負担や、このまま雨期を迎えてしまうと、雨によって伝染病などの恐れがあるので、仮設住宅でも良いから家が欲しい、という要望が一番多かった。また、工具などがあれば、自分たちで廃材を使って、建て直したり、片付けたり、できるという。自分たちでやろうという意気込みも強く感じた。
インドネシアではゴトンロヨンという言葉があり、この意味は、互いに助け合って生きていくといった意味で、週末になると、被害を受けていない村などから、血縁などのつながりを通してトラックいっぱいに援助物資を載せて、瓦礫の片付けや手伝いに来ていた。視察中にも何台かそういったトラックを見かけた。今回被災したジョグジャカルタ地域は、元々王宮があり、その文化の根付いている地域なので、このゴトンロヨンという風習が、強く残っているため、皆助け合って、復興に向かっているが、資金的には自力では難しい面が大きいと思われる。
日本側からできる支援は資金的な面が大きいと思われる。
1、家を建て直すまたは家屋を復旧する資金の目安として
家一軒建て直すのに約80万円(材料が値上がりして来ているためにもっと高くなる可能性あり)
2、トタン屋根の仮設住宅を建てるのに約5万円
3、骨組みを瓦礫から集めて竹で編んだものを壁代わりにするもので約3万円
4、お米の食料援助100kg約¥5000円
このような資金援助が可能だと思います。
また、8月17日がインドネシアの独立記念日で、その前一週間位は、皆でゴトンロヨンをしていろいろと片付け等を集中的にするので、日本の皆さんもその時期に手伝いに来てくれると非常に助かるとジャロット氏が言っていたので、8月14日〜18日位の期間で援助隊を組んでもいいかもしれません。
報告 山崎毅史
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