AAAアジア&アフリカ

Affection Accommodation Action Generation

ピアニカが送られるようになったキッカケ

「お母さんのまごころが海を渡る」

現地活動に精出す主人のもとへ行く決意をしました。この時は長女も主人と共に現地で活動をしていました。
生まれてはじめて、アフリカの大地へ足を踏み入れます。

1986年夏、主人が初めてケニアを訪れました。翌1987年6月、井戸堀に出かけました。奇跡的に井戸を掘り当てました。その年、長男が中学一年生、ケニア子供使節団の一員で参加。毎年1人ずつ、家族全員がケニアを訪れ、その度に現地の話やエピソードを聞きました。主人にも『一度言ってみないか』と誘われておりましたが『みんなの話を聞いて、写真も見て、ビデオまで見ているのだから、ケニアのことはなんでも知っている』と、断わり続けていました。

1991年夏、井戸堀隊の一員として参加することになりました。
バスに乗って一日走り続けても全然変わらないサバンナの景色、色々なことがとにかくびっくりばっかりでした。
行ってみて、聞くと見るとは大違い、“百聞は一見に如かず”の諺通りでした。

渡航を決意してから、「現地の子供たちに何かお土産を」と思い続けました。
ふと浮かんだのが押し入れに大切にしまっておいたピアニカです。6人の子供たちが、上から順番に使った思い出のピアニカ。私にとってはかけがいのない子育ての思い出が一杯詰まっているピアニカでした。
それをケニアの子供たちのお土産に持参しました。私が思っていたよりもとても喜ばれたのです。

「心にとまった事が行動になって広がる」

1994年7月の猛暑の日、東京荒川区立第六日暮里小学校6年1組の有志の皆さんが自宅を訪ねてくれました。
伊藤和博先生、松岡 愛、長塚政志、及川真紀、高橋 智、神戸 明の皆さんと、お母さん。

この日は座っていても汗が出るような、蒸し暑い日でした。JR日暮里駅から電車に乗って、一時間弱、JR北浦和駅でバスに乗り換えて、アフリカ救援のための中古衣料を詰めた段ボールを担いで来てくれました。送料とその段ボールをお預かりした時、感動が吹き出しました。夕方暗くなるまで、私たちの活動についてお話しさせていただきました。ピアニカの事もお話しました。

翌1995年5月4~5日(財)埼玉県県民活動総合センター主催の「さわやかフェスティバル」が開催され、AAAは写真展示と現地報告会を出展。

その会場に、ピアニカを沢山持参して来てくれたのです。小学校卒業記念に有志が集めてくれたのでした。
この日持参してくれたのは、李尤恵、長谷川陽子、増田美奈、平山七海、及川真紀の皆さん、伊藤和博先生とご家族。この贈呈式の模様が、埼玉新聞に掲載されました。

この報道がキッカケとなって、
次から次へと世界へ向けての善意が広がり今も続いているのです。

  • ウガンダ共和国
    チャート小学校にて
    生田由美子さんが指導

  • ケニア共和国
    ガリッサ小学校で
    阪本智恵さんが指導

  • ウガンダ共和国
    チャトー小学校にて
    高野美江さんが指導

  • ウガンダ共和国
    チャトー小学校にて
    星野昌子さんが指導

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